「想送式」~僧侶のいない葬儀~

【そうそうしき そうりょのいないそうぎ】

2020年2月、各新聞紙に「お坊さんのいないお葬式」という名称の事業広告が掲載けいさいされた。これを受けて、宗教新聞『ぶんほう』が一面トップに特集を組んで、この広告主である名古屋市中区の葬儀社、NINE&PARTNERS株式会社(ナインアンドパートナーズ)の大森嗣隆社長にインタビューをしている。まずは、「想送式」とはどのようなものなのか、以下『文化時報』(2020年4月4日付)の記事を抜粋ばっすい・引用しながら紹介したい。

まず、見出しには「お坊さんのいないお葬式 無宗教の『想送式』提案」とある。前述の大森社長は、NINE&PARTNERS株式会社を昨年8月に無宗教の「想送式そうそうしき」を行うためのポータルサイト(インターネットでの葬儀社紹介サイト)として事業を始め、全国の葬儀社(約180社)と契約し、会館や公営の式場などで「想送式」を行っている。「想送式」とは、

《「想送式」では「想送証明書」に署名して黙祷もくとうする儀式のほか、故人をしのぶ動画の上映、献花などを行う。施行するのは加盟葬儀社で、内容は葬儀社と依頼者が直接打ち合わせて決める。僧侶はどこにも存在しない》

であるらしい。

無宗教式むしゅうきょうしき」をかかげた理由をたずねられると、

「昨年8月に創業するに当たり、葬儀における参列者と喪主の不満を、アンケートで調べました。参列者で最も多かった不満は『お経が長い』。仏式葬儀は約1時間で、大半はお経と焼香の時間です。お経をありがたいと思う人にとっては、納得の1時間ですが、求めていない人にとっては、ただ我慢して座っているだけの1時間ではないでしょうか。ちなみに喪主の不満で最多だったのは『お布施が高い』でした」

「大切な人の葬儀で一番したいのは、遺族に声を掛けることです。お経を望む人はお坊さんを呼んでお経をあげてもらえばいいし、そうでない人のための送り方があっていいはずです」

「無宗教式は需要が少ないと思われていた一方で、従来の仏式を望んでいない人は多かった。従来のビジネスモデルを崩すような、提案しやすい無宗教式がなかっただけです。いまの葬儀社は、そうした葬儀を広く世の中に届けられていません」

と答えている。大森氏は、創業前までは愛知県内の葬儀社に22年間勤務していた。無宗教式を意識したきっかけは、生前中せいぜんちゅうに葬儀の相談と依頼を受けていた近所に住む友人の死であった。その依頼内容は、「葬儀の記憶」を子どもたちに残したくないので、葬儀を無宗教式で行ってほしいとのことであった。大森氏は当初、それでは親戚の理解が得られないのではと考え、仏式ぶっしきでの葬儀をすすめていた。しかし、この友人が亡くなり遺族が最終的に選択したのは無宗教式だった。この経験が現在の「想送式」の原型であり、大森氏はこの時のことを、

「彼女が亡くなり、ご遺族と葬儀の打ち合わせをしました。旦那さんの両親は、実家のある福井県から檀那寺の住職を呼ぶことを提案しましたが、旦那さんは、本人の希望通り無宗教式を選択しました。」

「葬儀では、ムービーを作って流しました。家族や友人がお別れの言葉を語り、全員が花を手向けた。会場中が号泣していましたが、納得できる良いお別れの時間でした。参列者に話を聞くと『人となりや思いが分かって、感動する式だった』と言ってもらえました。20年以上葬儀の仕事をしてきて、初めて『きょうの式はすべての時間を使い切れた』という感覚を味わいました」

と述べている。これに続けて、葬儀には欠かせない三つの要素として、①「故人こじん尊厳そんげんが守れる間に火葬かそうすること」②「残された人の心に区切りをつけてあげること」③「故人とえんのある方々が納得すること」を挙げて、②については、

「(前略)今までの仏式の場合は、導師が葬送儀式を行うことで、亡くなった人が『あの世』に行ったという精神的な区切りの要素があった。この部分を無視することはできません。何がしかの儀式が必要だと考え、『想送証明書』を作って何人かでサインし、皆で送った証しとすることにしました。結婚式の人前式における『結婚証明書』のようなものです」

と、僧侶そうりょがいなくても「精神的な区切り」はつけられるとした。また、「想送式」の価格が37万5千円~と高額な印象ではとの問いかけには、「思いに見合った送り方をしなければ」顧客こきゃくには納得感が残らず、ある程度の費用をけるべきとした上で、

「葬儀は地域性があるので、一律の料金は設定しにくい。低単価に振ると、業界の未来を潰します。10~20年前と比べれば単価は3分の2から半分ぐらいまで下がっているのに、葬儀はいまだに不透明だと言われます。10万円程度の価格が当たり前になれば、8割の業者は潰れる。どんなものにも適正価格はあるのです」

と、葬儀業界の将来に危機感をつのらせる。一方で、一部の「僧侶と葬儀社」の金銭がからむ不適切な関係を例に挙げて、

「仏式の供養をする必要のない人が、葬儀だけ仏式でやる理由はどこにもありません。葬儀社は相談を受けると、『普通はお坊さんに来てもらって、お経を読んでもらいますよ』と答える。そこでお坊さんを紹介すれば、キックバックが発生します。本をただせば、キックバックは『お布施』。これは正義でしょうか」

と、商業的になった僧侶への不信感が、このビジネスモデルが生まれた背景はいけい一因いちいんでもあるとする。顧客から「読経どきょうしてほしい」という声があっても基本的には対応しないが、最初に「僧侶との付き合いがあるかどうか」「寺にお墓があるかどうか」は確認して、関係性があれば菩提寺ぼだいじに相談するように投げかけている。インタビューは、大森氏が「1年後には加盟500社を目指したい」と目標を掲げて終えている。

記事の最後には、文化時報編集委員の泉英明氏が「葬儀と寺 あり方の見直しを」との見出しで解説を付している。いわゆる「伝統教団でんとうきょうだん」の葬儀への所見しょけんを紹介しながら、寺院のあり方の原点を考え直す必要があると指摘している。

浄土真宗本願寺派総合研究所の満井秀城副所長は「人間の死に対して何らかの回答をできるのは宗教しかない。宗教的情感を備え、人々が愛別離苦の悲しみを乗り越えるために接するのが僧侶の役目。食いぶちを得るためではない関わり方を組み直す必要がある」と、僧侶側の姿勢に見える問題点を指摘する。

従来の寺檀制度の枠組みでは、枕経から満中陰に至る一連の流れが「グリーフケア」の要素を含んでいた。一日だけの葬儀を求める声の増加は寺との信頼関係の揺らぎでもある。

満井副所長は「一方で、現代では葬儀が金銭的な負担になってしまっている現状もある。直葬のような〝遺体処理〟では問題。人間性そのものの回復が必要となる」とも話す。

本願寺派は現代社会に通じる葬送儀礼の研究を進めている。現代の会館中心で求められる儀式のあり方と同時に、今こそ寺自体のあり方の原点を考え直す機会なのかもしれない。

(※以上、ここまでの引用ヵ所はすべて『文化時報』(2020年4月4日付)より)

ここまで、『文化時報』の記事を参照した。ここからは、NINE&PARTNERS株式会社が提案する「想送式」から見えてきた現代の葬儀に関わる問題点をまとめて考えてみたい。 まずは、葬儀に関わるのは、門信徒もんしんと檀信徒だんしんと)、葬儀社、僧侶(寺院)の三者である。この記事からそれぞれの問題点を整理すると、

  1. 門信徒
    従来の仏式(僧侶)に対する不満がある。おきょうが長い。布施ふせが高い。そもそも仏式にこだわらない。
  2. 葬儀社
    従来の仏式では顧客の納得感が得られない。キックバック等、商業的な一部僧侶への不信感がある。葬儀価格が低単価へと流れていく危機感がある。
  3. 僧侶
    門信徒へ向き合おうとしない。「食いぶち」を得るために葬儀に関わっている。

このように整理した上で、記事に登場する大森氏やNINE&PARTNERS株式会社の事業を批判するつもりは全くないということを断っておきたい。むしろ、顧客に向き合って「納得感」のある式を目指し、かつ、企業としての経営努力には敬意けいいひょうしたい。また、「無宗教式」を希望する門信徒に対して、「不信心ぶしんじんである」とか「仏教徒ぶっきょうと自覚じかくが足りない」などとさとすことなどお門違かどちがいであることも付け加えておく。それは、僧侶が門信徒に「仏教」を伝えてこなかったために、門信徒が葬儀を仏式でする必要性を感じなくなっただけである。僧侶が教えも伝えずに「門信徒であるから葬儀は仏式で当然」と考えるのは、悪しき寺檀制度じだんせいどの残りかすともいえる。寺檀制度の崩壊ほうかいから経済的に困窮こんきゅうして職業的にならざるを得ないというのは、「仏教」にそむくことへの言い訳に過ぎない。つまり、葬儀のかたちが変遷へんせんしていった原因はおおよそ僧侶側にあることを忘れてはならない。葬儀が変遷してなげいているのは僧侶のみである。この嘆きが「仏法ぶっぽうへのあつい思いから」なのか「お金が欲しいから」なのか、私も含めて僧侶一人ひとりが胸に手を当てて考えたい。

私の所属する浄土真宗本願寺派大阪教区住吉組じょうどしんしゅうほんがんじはおおさかきょうくすみよしそ(大阪市住吉区すみよしく住之江区すみのえくの寺院の行政単位組織)では、2012年から5年間「葬送儀礼そうそうぎれい」に関する諸問題について研修会(全10回)を開催し、2019年には、住吉組として葬儀についてのガイドラインを作成した。(ガイドライン詳細についてはホームページ掲載の『浄土真宗の葬儀のながれ』参照)ガイドラインの前文に当たる「ガイドライン作成にあたって」では、

(前略)それらの学びの中で私たちは、「これまで門信徒の願いに応える葬送儀礼を行ってきたのか」と自問をしてまいりました。そして、その問いかけの中から浮かび上がってきたのは「葬送儀礼に僧侶は必要ない」とまで門信徒に失望をさせ、法要儀式の簡略化を自ずから招いてきた私たち僧侶の姿でした。いま、住吉組の僧侶一同は、このガイドラインに挙げられたようなさまざまな現実の問題から目をそらし続けてきた僧侶の体質を真摯に反省し、その課題の克服に向けたスタートとして、このガイドラインを作成いたしました。

(『浄土真宗の葬儀のながれ』P.12より)

と、住吉組では、葬儀のかたちが変遷してきたのは僧侶自身の責任ということを再確認した。もちろん、このガイドラインが十分なものとはいえず、これを実行すればすべての問題が解決するということはない。しかし、私自身の責任を自覚してからの出発でなければ、いつまでも問題の所在しょざい曖昧あいまいなままとなる。

前述の大森氏は、「伝統教団」に対しては、「私どもが何かを申し上げることはありません」と伝統教団への意見は特にないと突き放した。言い方を変えれば、もはや僧侶に対して「要望」や「相談」をする信頼すらないということなのかも知れない。今一度、僧侶のあるべき姿勢を問い直して、これ以上、門信徒や葬儀社を失望させてはならない。

参考文献

[1] 『浄土真宗の葬儀のながれ』(浄土真宗本願寺派大阪教区住吉組 自照社出版 2019年)
[2] 『文化時報(2020年4月4日付)』