「想送式」~その後~
2020年11月1日に当ホームページにコラム「『想送式』~僧侶のいない葬儀~」を掲載した。これは、宗教新聞『文化時報』が「お坊さんのいないお葬式 無宗教の『想送式』提案」として、名古屋市中区の葬儀社、NINE&PARTNERS株式会社(ナインアンドパートナーズ、名古屋市中区)の大森嗣隆社長へのインタビューを中心とした特集記事を紹介しながら、現代の葬儀に関わる問題点を整理して考えたものである。(コラム「『想送式』~僧侶のいない葬儀~」参照)
コラムでは以下のように葬儀に関わる問題点を整理した。
- 門信徒
従来の仏式(僧侶)に対する不満がある。お経が長い。布施が高い。そもそも仏式にこだわらない。 - 葬儀社
従来の仏式では顧客の納得感が得られない。キックバック等、商業的な一部僧侶への不信感がある。葬儀価格が低単価へと流れていく危機感がある。 - 僧侶
門信徒へ向き合おうとしない。「食いぶち」を得るために葬儀に関わっている。
さて、これら問題点を「コラム」で整理するきっかけとなったNINE&PARTNERS株式会社の事業について『文化時報』(2021年6月14日付)で続報が掲載されていた。見出しには「『お坊さんのいないお葬式』依頼低迷1年で撤退」として、
「お坊さんのいないお葬式」を掲げ、全国の葬儀社などと提携して無宗教の「想送式」を全国展開していたNINE&PARTNERS(大森嗣隆社長、名古屋市中区)が5月31日、窓口となるポータルサイトのサービスを終了した。今後、サイト自体も閉鎖する見込み。宗教界に波紋を投げ掛け、昨年2月の事業開始から1年余りでの突然の撤退に、葬儀業界には戸惑いの声が広がっている。 (『文化時報』2021年6月14日付より)
とある。大森社長は『文化時報』の取材に対して、「今は実質的な代表ではなく、今後などについては答えられない」としているが、『文化時報』は一部コメントをまとめている。
サービス終了の理由については、「資金不足」と「周知不足」を挙げた。本社がある名古屋圏内では、テレビCMや新聞広告などを展開したが、新型コロナウイルスの影響などもあり、立ち上げ時からの出資者による援助が難しくなったという。 (『文化時報』2021年6月14日付より)
さて、記事の中ではこの事業が「話題先行で宗教界から反発があった」ことも触れられていた。具体的にどのような「反発」があったのかは記されていないが、興味のあるところである。「僧侶」が呼ばれる葬儀において、葬儀社との方向性が違うために、その方法について話し合うことはよくあることだ。また、葬儀社から一方的に「このようにして下さい」と葬儀の進め方を決められて「反発」するのなら理解もできる。しかし、「僧侶を呼ばない」葬儀には「反発」のしようもないのではないか。まさか「営業妨害」とでも言いたいのか。まさにそれは、前述の問題点の整理にある「食いぶち」を得るために葬儀に関わっている姿とされても仕方がないであろう。
この事業撤退については、記事からは詳細な原因はわからない。前回の記事で大森氏は「1年後には加盟500社を目指したい」としていた。ここから原因を推測すると、拡大をあまりにも急いだために資金不足となったのかも知れない。また、比較的高額な価格設定に無理があったのかも知れない。ただし、「門信徒の僧侶に対する信頼を見誤った」のが原因と考えるのは誤りではないだろうか。この事業に「反発」したとされる「僧侶」がそのような声を上げそうだが、事業が失敗したことと「僧侶に対する信頼」はリンクするべきではない。
今後、第二、第三のNINE&PARTNERSが現れて、事業を軌道に乗せることも時間の問題ではないかと考える。ただし、それが今後50年も続くとは思えない。やがて遺族と葬儀社との関わりも必要最小限となり、多くの葬儀社は業態の変換を迫られることになるであろう。
さて、私たち僧侶は「ビジネス業態の変換」などと、ビジネスマンに成りすましている場合ではない。私の前回「コラム」を一部引用しておく。
僧侶が門信徒に「仏教」を伝えてこなかったために、門信徒が葬儀を仏式でする必要性を感じなくなっただけである。僧侶が教えも伝えずに「門信徒であるから葬儀は仏式で当然」と考えるのは、悪しき寺檀制度の残りかすともいえる。寺檀制度の崩壊から経済的に困窮して職業的にならざるを得ないというのは、「仏教」に背くことへの言い訳に過ぎない。つまり、葬儀のかたちが変遷していった原因はおおよそ僧侶側にあることを忘れてはならない。葬儀が変遷して嘆いているのは僧侶のみである。この嘆きが「仏法への篤い思いから」なのか「お金が欲しいから」なのか、私も含めて僧侶一人ひとりが胸に手を当てて考えたい。 (真宗の本棚 コラム「想送式」~僧侶のいない葬儀~ より)
どのような時代になっても、僧侶が「仏教」を伝えるという本質を変えてはならない。