「真宗の本棚クラシックアワー」第三回
皆さま、「原稿に困ったときの逃げ込み先」と評判の「真宗の本棚クラシックアワー」も第三回を迎えることができました。今回は、昨年(2022年)に生誕百年を迎えながらも、ほとんど顧みられることのなかった不遇の作曲家、松下眞一(1922-1990)の作品を聴いていきましょう。
松下眞一は1922年に大阪府の茨木市に生まれました。若いころから音楽の才能があったようで、13歳のときにはもう最初の交響曲を作曲していたという、早熟ぶりでした。また、学業も優秀で旧制第三高等学校(現在の京都大学)から九州帝国大学の理学部に進学、数学を専攻し大学院を出たあとは大阪市立大学の助教授に迎えられ、1965年からはハンブルグ大学の特任教授として招かれるなど、数学者としてもとても評価の高かった人物です。また、哲学や文学を好み俳句をたしなむなど、多方面にわたって活躍しました。音楽においては1958年、軽井沢で開催された現代音楽祭のコンクールにおいて「8人の奏者のためのコンポジション」が1位を取る(あの武満徹と同時受賞)など、こちらでも早くから注目されていました。
彼の初期の作風は、数学者としての側面を反映してか、とても理知的です。例えば、彼の作品では比較的演奏される機会の多かったピアノのための「スペクトラ第二番」を聴いてみましょう。この作品は各部分に『古事記』のエピソードの題名がつけられています。
この曲の楽譜の中で黒塗りにされている部分が出てきますが、これは当時「トーンクラスター」と呼ばれていた手法で、演奏者が指定された範囲内で自由に音のカオスをつくるための表記方法です。松下はこの作品について
「これはなんら写実的・文学的な意味を意図せず、ただこれら神話のもつ民族的な夢の雰囲気を背景としてピアノの音色と技法への新しい可能性を追求したものである。作曲法は群論的方法によっている」
(「スペクトラ第二番」出版楽譜より)
と語っており、数学の「群論」を作曲に応用したとしています。このように彼の作品の特徴は、「位相」「可測」「群論」「フーリエ解析」といった数学理論を積極的に自身の作品に取り入れたことだといえるでしょう。
さて、そんな松下眞一ですが、宗教にも造詣が深く、中でも仏教については『法華経と原子物理学』『般若心経とブラックホール』といった著作があるほど、入れ込んでいたようです。また、ある時期の彼の作品にはさまざまな宗教団体からの委嘱作品があります。とくに真宗系の教団からは重宝されたようで、真宗大谷派からは「親鸞聖人七百回大遠忌法要」(1972)の音楽法要を任されていました。その貴重な音源が YouTube にも残っています。
お聴きいただくとわかるのですが、オルガンとティンパニによる伴奏で最初は無調で親鸞の和讃が歌われ続けると、急に曲調がかわり三帰依文が原曲のまま引用されます。そのあと、また親鸞の和讃が歌われていきます。最後の部分は無限に続くかのような「なんまんだぶ」の念仏による一大メタモルフォーゼが繰り広げられ、オルガンとティンパニの壮麗な和音と梵鐘の音で曲は閉じられます。私のような現代音楽ファンからすれば「わかりやすさと本来の作風をぎりぎりの線で妥協させて、なかなか面白い作品に仕上げているなぁ」と肯定的に捉えているのですが、残念ながら演奏されるのは数年に一度のようです。やはり、本願寺派が「親鸞聖人七百五十回大遠忌法要」(2011-2012)のさいに作ったような「わかりやすさに全振り」したような作品のほうが残っていくのでしょうか。
さて、大谷派からは恩徳讃の作曲も依頼されています。こちらもなかなか美しい曲で、このまま埋もれていくのは惜しい佳曲です。
そのほか、彼は真宗十派で構成される真宗教団連合設立 50 周年記念で「頌讃曲(オラトリオ)《親鸞》」(1973)を委嘱されています。残念ながら音源は見当たりません。どなたか、音源をお持ちの方はご一報ください。
真宗系以外からは立正佼成会より「法華経によるカンタータ《沸陀》」 を委嘱されています。こちらは第三番まで作曲され、全部でLPレコード9枚分の大作となっています。ちなみに真宗教団連合の「オラトリオ親鸞」はLP 2 枚分です。この差は1970年代の新宗教の勢いを物語っていますね。ちなみに所属団体である「東京佼成ウィンドオーケストラ」からは交響的幻想曲「偉大への賛歌」が委嘱されています。この曲については、筆者は高校生の時にLPレコードを入手していたのですが、全く覚えていません。ごめんなさい。
この他に、1974年に松下は仏教のサンガ(僧侶集団)をテーマにした交響曲第6番「シンフォニア・サンガ」を作曲しています。この曲は第一楽章「シュラマナ」第二楽章「シーラ・トリシュナー」第三楽章「ニッバーナ(涅槃)」となっています。YouTube にもこの曲の音源が残っています。
聴いてみると、最初に聴いた「スペクトラ第二番」と比べると、ずいぶんとおおらかな作風に変化していることに気づかされます。角が取れたというか、厳しさがなくなったというか、聴きやすくなったというか。なによりも、「スペクトラ第二番」では否定されていた「物語」が、この曲ではかなり忠実に「物語」をなぞった形で進行していきます。この時期に、松下はさまざまな仏教団体から依頼されて、仏教音楽を作曲していました。こういった委嘱音楽は、さきほども書いた通り「わかりやすさと本来の作風」を妥協させていかなければなりません。もしかしたら、松下は仏教音楽を書き続けるうちに「わかりやすさ」が「本来の作風」を侵食していったのかもしれません(シンフォニア・サンガ第一楽章の最後にはまたもや三帰依文が引用されます。わかりやすい!)。それでもなお、松下らしい理知的な厳しさは随所に聴くことができます。そういう意味ではこの「シンフォニア・サンガ」は、松下の新たな側面を切り開いた意欲作として評価できるでしょう。しかし、松下眞一という作曲家は、没後30年を過ぎ急激に忘れ去られているように思えます(※)。
- ※ 2024年3月、茨木市役所に松下の楽譜などを展示する「松下眞一展示コーナー」が設置されています。
軽井沢のコンクールで一位をわけあった武満徹が、死してもなお、世界中で演奏されていることを思うと、どうしてそこまでの差が開いてしまったのでしょう。松下の初期の作品にみられる厳しさや冷たい美しさは、今でもとても魅力的です。もしかしたら、彼の初期作品は、再評価されるときがやってくるかもしれません。ただ、そのときは「数学者で作曲家の松下眞一」の再評価であり、「仏教者で作曲家の松下眞一」の再評価ではない、ということが、いささか歯がゆいのですが。