名物店長の再出発
2021年9月、当ホームページにコラム「報恩のかたち」を掲載したが、ここで紹介させていただいた「名物店長」の続報がテレビ番組で放映されていた。2020年10月31日まで「餃子の王将」出町店(京都市上京区)の店長を務めていた井上定博(当時70歳)さんである。
「報恩のかたち」から井上さんの人となりを抜粋すると、
彼が名物店長になった理由は、店の入り口に貼られた一枚の紙である。
めし代のない人
お腹いっぱいただで
食べさせてあげます。
但し仕送りが遅れているか
昨日から御飯を食べて
いない人に限ります。
食べる前に言ってね。
学生さんに限ります。これまで延べ3万人、貧困に苦しむ学生たちに食事の提供をしてきた。2年前までは30分間の皿洗いをするという条件があったが、当局の衛生上の指導もあり、それを機会に条件をつけずに無料とした。この提供は出町店を経営するよりも前の1982年、餃子の王将の社員として別の店を任されていたころから始まり、その歴史は39年間に及ぶ。かつて皿洗いの条件をつけたのは、お金を払わないことに躊躇して申し出ることができない学生が、言い出しやすいようにとの配慮である。
(中略)
「お腹がいっぱいになれば、明日は前を向いて生きていける。」が彼の口ぐせである。全国から多くの学生が集うまちで、その中で彼が気にかけたのは、学ぶ機会をあきらめようと下を向く貧しい学生であった。無料で提供された学生たちには、その後の生き方に大きな影響を受けたものも少なくない。(「真宗の本棚」コラム「報恩のかたち」より引用)
私は、この店長と学生たちに「報恩のかたち」を垣間見てこのコラムを執筆した(詳しくはコラム「報恩のかたち」参照)。当時、井上さんはフランチャイズオーナーの定年で店を閉めることとなったが、学生たちに食事を提供できる場として、もう一度飲食店を開きたいとも語っていた。
さて、その井上さんの続報を読売テレビの「かんさい情報ネットten.」(2023年3月3日)より紹介したい。井上さんはこの日、京都上京区に「いのうえの餃子」をオープンした。カウンター8席の小さな店ではあるが、オープンとともに店は満席となっていた。さっそく、王将時代に通っていた学生が「皿洗い志願」をしていた。
井上さんは閉店から約二年半、散歩や競馬を楽しんで年金生活を送っていたが、ある日突然、食事提供をしていた元学生に「もうそろそろ飽きてきた。もう一回店を始めたいんや」と電話をかけた。その日の内に近所のカフェで二人は会って、新店舗オープンの相談をしたという。井上さんは、「コロナ禍や物価高騰で困窮する若者を支えたい」と再び熱い思いが湧き出てきたという。
「いのうえの餃子」の店内には新しい張り紙が貼られていた。
めし代のない人
お腹いっぱい
ただで食べさせて
あげます。但し食後
30分間お皿洗いを
していただきます。
18才以上の人で食事に
困っている人に限ります。
かつての張り紙とは少し文面は変わった。皿洗いは復活し、学生という条件は外されていた。「コロナ禍」や「物価高騰」という時代背景が影響して、多くの若者に対象を広げていることがわかる。
私は、二年半の散歩や競馬を「もう飽きた」という井上さんの人間らしさに親しみを感じる。そして笑顔で「ここで山盛りご飯を食べると元気が出る。明日また何かしようとなる」「楽しい。お客さんがみんな待っていたと言ってくれるからうれしい」との言葉からは、「苦労」はいとわないが「無理」はしない自然体の姿が見えてくる。 とは言え、店の経営は大変だと思う。
餃子一人前 270円
餃子定食(餃子一人前・唐揚げ・スープ・ご飯) 700円(ご飯大盛り無料)
ラーメン 600円
これで、店の維持や食事の無料提供を行わなければならない。
たまには競馬で大穴でも当ててほしいものだ。74歳名物店長の再出発である。この「報恩のかたち」は継続中であった。