仏前結婚式を経て

【ぶつぜんけっこんしきをへて】

実はこの前結婚しました。……このサイトは私の日記ではないのですが、思うところがあったのでコラムにしてみました。

仏前結婚式

結婚式にはさまざまな挙式スタイルがあります。キリスト教式、神前式しんぜんしき人前式じんぜんしき、そして仏前式ぶつぜんしきです。「仏前式って何?」「お寺で結婚式を挙げられるの?」と思われる方もおられるかもしれませんが、どなたでも可能です。結婚式とは結局のところ2人の婚姻こんいんを報告したりちかったり表明したりする場であり、挙式スタイルによって「それを誰に向かって行うのか」が変わるのだと思います。キリスト教の神や日本の神々に婚姻を誓う儀式があるのなら、仏にそれを誓う儀式があっても何もおかしくありません。

浄土真宗における仏前結婚式についてはコラムもありますのでそちらもご参照ください。

結婚式の意義

次に結婚式の意義について考えてみます。私が所属するじょうしんしゅうほんがんでは『法式ほっしきはん』の中で次のように定義されています。

結婚式は、親鸞聖人の流れをくむ者にとって生涯聞法の大切な儀式であり、如来のご尊前において念仏に薫る人生を送ることを表明する儀式。

(『浄土真宗本願寺派 法式規範(改訂版)』P.251より)

実にお堅いですね。2人が今後仲良くやっていくみたいなことはどこにも書かれていません。まあ厳密に教義的に定義しようとすると、内容をこれ以上拡げることはできないのかもしれません。

私としましては先に書きましたように「2人の婚姻を報告したり誓ったり表明したりする場」ぐらいに考えています。うちの宗派の場合はこれに『法式規範』に書かれた意味合いが加わるのかなと思っています。参列してくださった皆様と阿弥陀あみだ如来にょらい阿弥陀あみだぶつ)の御前おんまえでこういったことを表明させていただくわけです。

なぜわざわざ意義について考えたのか

結婚式を挙げる前に、私はなんのために式を挙げるのかを考えました。「親戚や友達の前でお披露目したいから?」「綺麗な服が着たいから?」「そもそもパーティーを開催したいだけではないか?じゃあ式は披露宴のおまけ?」などなど。次に結婚式と結婚披露宴を分けて考え、それぞれの持つ意義について考えました。披露宴の方は簡単で、式にずいしてもよおされるパーティーだと捉えました。一方、式の方はうちのしゅうの儀式として規定されているぐらいですから、やはり宗教れいとして解釈するのが妥当だろうという結論に達しました。そして、先のようなことをなんとなく考えたわけです。

たぶん世間の大半の人はわざわざこんな面倒くさいことはいちいち考えていないと思います。ではなぜ私がこんなことを考えたのかというと、職業病でしょうね。「冠婚葬祭」と一括りにされるように、結婚式も葬儀も人生における儀礼の一種です。葬儀については私たち僧侶そうりょはその一つ一つのお勤めについて知っておかなくてはいけません(以前にも『浄土真宗の葬儀のながれ』を作成しております)。宗教儀礼にたずさわらせていただいている身として、私は結婚式にも真面目に向き合いたいと思いました。

披露宴の際には私のスピーチの中で「本日は阿弥陀如来の御前で表明させていただきました」ということを言わせていただきました。後で友人からは「あれ言わなあかんかったん?笑」というツッコミをもらったのですが、実はこれは私にとって欠かせない一文でした。

世間一般では?

ブライダル業界大手の総合サイトである「ゼクシィ」によれば、大方の予想通り世間の多くの方はキリスト教式を選ばれています(参考:[キリスト教式・神前式・人前式] 挙式スタイル、みんなはどう選んだ?)。見たところおよそ2分の1の方がキリスト教式、およそ3分の1の方が人前式、およそ6分の1の方が神前式を選ばれており、その他のスタイルはわずか2.0%です。仏前式は名前すら挙げられていないところに寂しさを感じてしまいます。

とはいえ、私もお寺に生まれていなければキリスト教式を選んでいたかもしれません。「皆がそうしている」というのは大きな安心感に繋がります。もしくは「他の国の宗教のおいしいところだけをつまみぐいする行為はいかがなものか」と考えて人前式や神前式を選んだかもしれません。一応書いておきますと、「つまみぐい」する行為を否定するつもりはありません。私も時にはそうしますし、これはお互いさまだと思っています(参考:コラム「私とクリスマス」)。

人前式には「無宗教」という考え方も関わってきますね。「特定の宗教にとらわれず」というものです。「無宗教」については考え始めると複雑で、これ一つでコラムを用意した方がいいと思いますので今は触れません。いつか自分なりに考えをまとめて自分の言葉でも書けたらいいなと思っています。

仏前結婚式を挙げてみて

結婚式というのは人生の節目にあたる大きな行事です。もちろん必ず挙げなくてはいけないものではありませんが、挙げるとなると準備に多くの時間と労力とお金、そして多くの方々の協力が必要になります(もっとも、ほとんどの比重は結婚披露宴の方にある気がしますが)。私としては、せっかく式を挙げるのであれば何かしら意義のあるものにしたいという気持ちがありました。これだけ大きな行事を「なんとなく」で済ませるのは実にもったいないです。私は自らの意思で仏前式を選択し、無事に勤めあげることができました。とても満足しています。ちなみに妻に感想を聞いてみたところ「和服も着られて良かった」とのことでした。

参考文献

[1] 『浄土真宗本願寺派 法式規範(改訂版)』(浄土真宗本願寺派 勤式指導所 本願寺出版社 1999年)
[2] 『[キリスト教式・神前式・人前式] 挙式スタイル、みんなはどう選んだ?|ゼクシィ』 (https://zexy.net/article/app000000506/)

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