正しい言葉を使えば、思いは伝わるのか?
正しい言葉を使うことは大切なことである。ただし、正しい言葉を使っているのだからと前後の文脈を無視する、あるいはもう少し長いスパンである歴史的連続性の本質的な考察を避けて、思考停止するのであれば正しい言葉を使っている意味がない。また、発言している本人がその正しい言葉に自信がなければ、空しいばかりでその思いも十分には伝わらない。その一例をあげる。
秋になると、浄土真宗各派では報恩講のシーズンである。本願寺派本山本願寺では、宗祖親鸞の祥月命日に合わせて毎年1月9日~16日に勤める。これに先立ち一般寺院やご門徒宅では、「御取越」などと称して秋に勤める場合が多い。これは、宗祖の恩徳に報謝する法要であり、真宗門徒にとっては年間を通じて最も大切な仏事である「はず」である。
私も報恩講前になると月参りの際に「ご案内」を配ったり、近所でご門徒を見かけると声をかける。以前は、「浄土真宗で一番大切な行事ですから、是非ともお参りください」と声をかけていた。だが今は「せっかく法座がありますので、ご都合がつくようでしたらお参りください」と言葉を変えた。では、以前の声かけの言葉は誤っていたのか?言葉は何も間違っていない「正しい言葉」である。しかし、かつて私たちの教団・僧侶の犯したある過ちを知ると、正しい言葉は空しい言葉となる。私の場合、少なくとも「大切な」「是非とも」などと調子のいいことは言えなくなった。
1671年(寛文11)より、「宗門改」(「宗門人別改帳」)の作成が全国的に法整備されていった。これは、幕府によって行われた民衆統制政策であるが、当初は禁教としたキリシタン(キリスト教徒)の摘発を目的とした宗教政策であった。しかし、徐々に住民全体を管理・統制するものへと変わっていく。ここで各村の住民を把握・管理するのに仏教寺院が利用されていった。住民は、強制的にどこかの寺院の檀家(真宗では門徒)となることで、所属寺院の住職にキリシタンでないことと「善良な住民」であることを「宗門人別帳」へ証印して保証してもらうのである。当時の様子を窺えるものとして『世事見聞録』(※1)から引用する。
もしまた坊主の申すこと悸き背き、或は不行状なる事を憎み咎めなどするあれば、遺恨を含み種々の仇をなし、或は宗門改めの節、証印を拒み、又は他所へ縁組せし時、送り状を出さず、或は死人ある時は、病気そのほか故障を申し、葬式を手間取らせ、又は引導を渡すまじくなどと、死人を罪人のごとく申しなして、親属のものに恥辱を与へ、苦患を懸くるなり。
(『世事見聞録』P.140-141より、ルビは筆者が追加した)
ここで見られるのは、村の人たちがキリシタンではないこと、善良な住民であることを保証「してあげて」、安穏に暮らせるようにとの親切心のある住職ではない。この住職は、どうやら普段、住職に逆らい「檀家の責務」を果たさない檀家に対して、手を変え品を変えの嫌がらせをしているようである。ここでは、住職が「宗門改」の権限を利用して、檀家(住民)を抑圧し、恐怖を与え、「檀家の責務」として金品を差し出させ搾取しようとする、まさに権力者そのものの悍ましさを想像させる。
「宗門改」などで定められる「檀家の責務」とは、年忌命日法要・祖師忌(真宗では報恩講)・灌仏会・涅槃会・盂蘭盆会・春秋彼岸会など各種法要への参詣(参拝させるのが目的ではなく、布施としての金品が目的である)、寺院伽藍の新改築費用・講金・祠堂金・本山上納金など、気が遠くなるほど幅広い。これらの責務を拒否した場合は、住職は「寺請の拒否」(檀家と認めない)をする場合もある。これにより、奉公や結婚に伴う移動が不可能になったり、幕府の懲罰対象(キリシタンと認定されれば死罪もありうる)となる可能性もあり、また「宗門人別改帳」からの削除をされると「無宿」(※2)となり、社会的地位を失うこととなる。
さて、このような社会構造の中で当時の人びとは、どのような思いで報恩講などの寺の行事に参加していたのだろうか?もちろんすべての住職・僧侶がこのようなことをしているとは思えない(思いたくない)が、仮にわずか一割の住職がこれと同様であれば、そこの所属の檀家はもちろんのこと、他の寺院に所属する九割の檀家を震え上がらせるには十分ではないか。檀家である証明すなわち市民権が奪われることによって、就職・結婚・いのちすらも奪われることになる。
先ほど引用した『世事見聞録』は1966年に校訂されたものであるが、そこに法学者の瀧川政次郎が「解説」の中で「僧侶の腐敗堕落」を記しているので引用する。
江戸時代における僧侶の腐敗堕落は、僧侶が江戸幕府の基本政策の一つである切支丹禁制の一翼を担う事となり、俗的な幕府の権力と結びついて官僚化したことに、その最大の原因がある。江戸時代には、他村の者と婚姻養子縁組をするに当って、村送りと共に寺送りなる送り状を必要としたのみならず、村の者が町家に奉公、出稼ぎに赴くに際しても、宗旨証文なる檀那寺の証明書が要ったから、村の百姓は寺の和尚さんの言うことは、どんな無理でも無心でも聴かねばならなかった。村の人々は米麦のみならず、葱ができたといえば葱を、人参ができたといえば人参を、いちばん先に寺へ持っていって、和尚さんの機嫌を取り結んだ。この頃には郷村の僧侶が大業な造作を好み、村民に大きな負担をかけることが述べられているが、貧寒とした山村・漁村にも寺だけは巍々たる本堂の甍が聳えているのには、全くこの為である。社会経済史家は当時の年貢の重かったことを述べ、為政者の搾取の酷烈であったことを言うが、僧侶の側面からする搾取のひどかったことは、あまり問題にしていない。御家人株の売買のことは問題にするが、寺の住職の株が高価に売買されたことに注意する人は少ない。本書は、それらの社会経済史家の見逃しているものに対して、注意を喚起する上にも役立つであろう。(瀧川政次郎「解説」)
(『世事見聞録』P.29より、ルビは筆者が追加した)
このようなことを知って、報恩講について正しい言葉遣いで「浄土真宗で一番大切な行事ですから、是非ともお参りください」などと、どの口で言えるのか。
今でも、秋になると新米をお供えしてくれるご門徒がいる。農家ではないが、米や野菜を自分が口にするより前にである。江戸時代から続く「悪習」がやがて目的が変わり、「慣習」となったのであろう。そもそも過去のこのようなひどい仕打ちが、明治以降に口伝えされている形跡はなく、これらの事実自体は既にほとんどの人が知らない。一方、僧侶側も、「宗門改」のことはすっかり忘れ、お供えを持ってくるご門徒を「ありがたいご門徒さん」として素直に喜んでいるのが現状である。私は「宗門改」による横暴には加担しておらず無関係である。しかし、歴史的連続性の中で、教団・僧侶が権力者として、その社会構造の中で「宗門改」などを利用して「み教え」に背き、寺院を維持してきたことは否定しようもない。つまり、そこで現在生活をする私も無関係であると逃げることはできないのである。では、私はどうすればよいのか?
まずは過去の過ちについては、素直に認めることからはじめたい。謝罪するということではなく、このような門徒と住職・僧侶の関係は間違っていたと認め、再び社会が変わっていったとしても、今後二度とこのような関係には戻さないと伝えることが大切である。
その上で、ご門徒に胸を張って「報恩講は浄土真宗で一番大切な行事ですから、是非ともお参りください」と正しい言葉遣いで、その宗教上の思いが伝えられるようになりたい。
- ※1 世事見聞録(武陽隠士 1816年)
- 江戸後期の随筆で作者不詳。武士・百姓など幅広い階層の風俗について批判的に述べたもの。一部差別表現が含まれ、特に被差別民への差別記載には受け入れられない部分も多い。ただし、当時の幅広い階級・身分のものたちの風俗が描かれている箇所は、現在でも歴史的資料として研究者には参照される文献である。三巻「寺社人の事」では、当時の腐敗・堕落した仏教教団・寺院・僧侶が厳しく批判されている。
- ※2 無宿
- 「人別帳」から外された人。犯罪による追放や親族による勘当、寺院住職による寺請拒否などがあり、現代でいう無戸籍状態ともいえる。