戦国本願寺 序章

【せんごくほんがんじ 0 じょしょう】
[戦国本願寺]
by 檀特 諒行 (祐貞寺)
2019/06/01(2021/08/27 更新)

はじめに

筆者が小学生の時代はナウマン象から始まりオウム真理教の事件までを学校で習った。多くの人々も義務教育で初めてこの国の成り立ちを学ばれたことだろう。先日に見たテレビ番組で「日本史の教科書には載せられない事件」というものが特集されていた。これを見て「なるほど」と思う場面がいくつかあった。その中で浄土真宗にかかわることもあった。数日後、これを見たか見ていないかはわからないが、友人が浄土真宗の歴史を聞いてきた。彼は実家の宗派はわからないけれども同じ浄土真宗だ、と言っていた。彼は親鸞しんらんよりも蓮如れんにょに関して興味を持っていた。五木いつき寛之ひろゆきの『蓮如物語』を読んだことがあるらしく、「貧窮ひんきゅうしていた本願寺が成り上がっていくさまがおもしろい」と言っていた。「蓮如は石山いしやま本願寺ほんがんじ建立こんりゅうしたのに、大阪城になったのはなんで?」と聞かれたので私は「織田信長が攻めたから戦って負けたからだよ」と答えたが、「なんで攻めてきたの?どうして坊主が武器を持って戦うの?」等、さまざまな問いかけをもらった。学校で学んだことから「そういう時代だったんだよ」としか答えられなかった。「そういう時代」という一言で済ませてしまった私は、この友人との何気ない会話の中から「それはどのような時代であったのか?」と、いま一度あらためて石山本願寺の歴史をまとめてみようと思った。

執筆にあたり参考にした文献は「参考文献」に記載した。また大阪城内部にある常設展や本願寺むら別院内のきた御堂みどうミュージアムにある資料等を参考にした。

※なお現在の学説では「石山本願寺」は「大坂おおざか本願寺」と呼称するのが一般的であるが、当コラムでは「石山本願寺」の呼称を用いている。

参考文献

[1] 『あらすじで読む「信長公記」』(黒田基樹 三才ブックス 2018年)
[2] 『現代語訳 信長公記』(太田牛一 著 中川太古 訳 中経出版 2013年)
[3] 『織田信長』(山岡荘八 講談社 1981年)
[4] 『蓮如物語』(五木寛之 角川書店 1995年)
[5] 『北御堂今昔物語 大阪と本願寺』(岡村喜史 大喜直彦 浄土真宗本願寺派 本願寺津村別院 2013年)
[6] 『火焰浄土』(津本陽 角川書店 1995年)
[7] 『本願寺第十一代顕如宗主夫人如春尼の生涯』(籠谷真智子 晃洋書房 1991年)
[8] 『御文章 ひらがな版 -拝読のために-』(浄土真宗教学研究所(現 教学伝道研究センター) 本願寺出版社 1999年)
[9] 『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』(教学伝道研究センター 本願寺出版社 2004年)
[10] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[11] 『図録 顕如上人余芳』(本願寺史料研究所 本願寺出版社 1990年)

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