ネコと仏教

【ねことぶっきょう】

ウチのお寺には、私が住職になってから常にネコがいる。初代は毎年お寺に出産しに帰ってくる通称「オカン」というネコから生まれた「きじを」。オカンがある日、すまなさそうな顔で庭の窓の下に置いていった子である。ちなみにオカンは、翌年もまたすまなそうな顔で「コメ」「ゴエ」「サンコ」という三兄妹きょうだいを置いていった。この三兄妹は根っからの自由人(自由猫?)で、室内に入るのをひどく嫌がるので、基本的には外で過ごしてエサだけをねだりに来る関係であった。そのあと、なぜか大みそかの側道で叫んでいたスコティッシュフォールドの「スコ」がやってきて、今現在は、黒猫姉妹の「アカ」と「モモ」が私たちを癒してくれている。

左がモモ、右がアカ。双子です。

その中でもゴエは、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうのマッチョネコで、喧嘩けんかでも負けたことがないらしく、たちまち近所のボスネコにのぼりつめていった。そのおかげで、お寺の境内けいだい野良のら猫が入ってくることもなく、らされることもなくなった。私はこのゴエをひそかに「正覚寺しょうがくじまもりネコ」と呼び、近隣寺院の住職にも「これはと思うネコをお寺で飼えば、ほかのネコが寄りつかないので、めっちゃいいっすよ」とすすめたのだが、同意してくれる住職は一人もいなかった。しかしながら、じつは仏教とネコというのは仏教が日本に伝来するにあたって、密接な関係があるのだ。

紀元7~8世紀にかけて、日本が当時の先進国であったとうに学ぶために派遣された遣唐けんとう使。その帰りにはたくさんの仏教経典きょうてんが持ち帰られることとなる。紙に書かれた貴重な経典の一番の大敵たいてきは、その紙を食い荒らすネズミだった。そこで、そのネズミ駆除くじょのおやくたまわったのがネコであった。日本にネコが伝わったのは、経典を護るためだったのである。あぁ、なんということであろう。まさに仏教の「護りネコ」。ネコがいなければ、数々の経典はネズミに食い荒らされ、日本に伝来しなかったかもしれないのだ。つまり、いまの日本仏教があるのはネコのおかげなのである。ありがとう、ネコさま。

 

そのように、仏教を護るために日本へと渡ってきたネコであるが、その後、順風じゅんぷう満帆まんぱんに日本仏教界での地位をきずいたかというと、そうでもなかったようである。例えば、釈尊しゃくそん入滅にゅうめつ様子ようすを描いた涅槃ねはんというものがある。初期には、釈尊のまわりに描かれていた動物は獅子ししぞうぐらいであったが、鎌倉時代中期(1200年代)以降になると鳥や虎、山羊やぎなども加わり、犬も登場してくる。しかし、ネコが描かれた涅槃図は極端に少ない。それには従来、このような解説がなされてきたという。

釈尊の入滅が近いことを知った天上の摩耶まやにん(釈尊の母)は、たいそう悲しみ天上の秘薬ひやくを釈尊のもとへと投げ落とした。しかし、その薬は木に引っかかってしまい、地上には届かない。それを見ていたネズミが釈尊のもとへその薬を届けようと、木をがる。そこに偶然、ネコがやってきた。天敵のネズミをみつけるやいなや、本能のままおそいかかり、ネズミは薬を釈尊のもとに届けることができなかった。そのようなわけで、涅槃図にネコは描かれていないのだ。

ひどい話である。ネコがネズミを襲うのは習性であるし、その習性のおかげでネコは日本にやってきてくれたのだ。そのほかにも、釈尊が入滅したときにすべての動物が悲しんでいるなか、ネコだけが笑っていた、とか、化粧をしていて釈尊の入滅に間に合わなかった、とか、いやただ単に寝坊しただけだ、などさまざまなネコ悪者わるもの説が語られてきた。なかには、「ネズミに嘘の時間を教えられた」などという、摩耶夫人のエピソードとは真逆のものもある。ただ、これらのエピソードは仏典ぶってんには見当たらないので、どうやら後世こうせいに日本で作られたエピソードのようである。東福寺とうふくじの有名な涅槃図には、ちゃんと神妙しんみょうな顔のネコが描かれている。また、西本願寺の書院しょいんの天井画にもさまざまな書物の絵が描かれているが、それを護るように一匹のネコが描かれている。どうも、そんなにみ嫌われる存在でもなかったようにも感じる。

とくに禅宗系ぜんしゅうけいの僧侶にはネコ好きが多かったようで、例えば室町時代の禅僧でしょうこくに住した桃源とうげん瑞泉ずいせん(1430-1489)は自分の著書のあとがきに、「ネコが危篤きとくになったのでしばを取って燃やしネコを暖めた。」といったネコ好きアピールを、本文とはまったく関係がないのに入れ込んでくるのである。まるで、ネットの仏教サイトのコラムにネコ好きアピールをぶっ込んでくるようなものである。

江戸時代に入ると、ネコは愛玩あいがん動物(ペット)として地位を確立したようであるが、同時に死者を動かす力のある魔性ましょうの動物とされた。最近ではすっかり見なくなったが、遺体の上に置くまもがたなというものがある。あれは遺体の上にネコが乗らないように(死者を動かさないように)置いておく「ネコけ」の意味もあるらしい。このように、ネコは可愛がられながらも、どこか神秘的な力を秘めた存在となっていった。

さて、ここまでネコの魅力を「讃嘆さんだん」してきたわけだが、私にはひとつ解決せねばならない問題が残っている。このサイトのコラム「君は往生できるのか?」を読んでいただきたい。我がサイトの執筆者に「かんべぇ」派がいるのである(ここで私が動物の固有名詞を使わないのは理由がある。なぜならこの執筆者は「かんべぇ」を「犬」と呼ぶと怒るのである。読者の皆さんはこれから出てくる「かんべぇ」を「犬」と読み替えていただきたい)。ネコの崇高すうこうさを、彼にもっと示さなければ、この原稿はボツになる危険性さえある。

そこで、最後にをもって仏教的ないを示したあるネコをご紹介したいと思う。それは禅宗の「公案こうあん」(いわゆる禅問答)のひとつで「南泉なんせんざんみょう」と呼ばれているものに出てくる。二人の弟子がネコの所有をめぐって争っている場面から始まる。  

 ある日、南泉和尚が東西の堂(弟子が学んでいるところ)を通りかかると、両堂の僧が子猫一匹を間に言い争っている。そこで南泉は猫をつまみ上げると「この猫についてお前達何か言うてみよ。さもなくば猫を斬ってしまうぞ」と言った。両堂の弟子たちは何も言うことができなかった。南泉はそれで、持っていた鎌で猫を斬って捨てた。

(『猫の古典文学史 鈴の音が聞こえる』 P.93より)

 その夜、南泉の高弟である趙州が帰ってきた。そこで今日の話をすると、趙州はだまってはいていた靴を頭の上に載せて部屋を出ていった。これを見て南泉は「趙州があの場にいたならば、あの猫を救うことができたのに」と悔やんだ。

(同じく P.95より)

さて、いかがであろうか。この話をそのまま受け取ると、私なんかは「南泉、ネコを切り捨てるとはひどいやつだ」という答えしか出てこない。しかし、禅僧たちは師僧しそうからこのような問いを受けて、仏教的に返答していかなければならない。私の答えでは「それってあなたの感想ですよね」と、それこそ切り捨てられるだろう。そうとなれば、この話の中の「猫」がなにを意味しているのか、なにのメタファーなのか考えていくこととなる。そうすれば、後段こうだん趙州じょうしゅうがなぜくつを頭に載せて出ていくのか、なぜ猫が救われたのかも理解できるのであろう。

禅宗の僧侶、松原泰道まつばらたいどう(1907 - 2009)の答えはこうである。

 思えば、私たちはこの猫騒動のようにつねに自他の対立で心身をすり減らしているのです。そして所有欲に明け暮れ追いまわされているのです。南泉は、あえて不殺生の戒を犯して猫を斬ることによって、自他の対立や欲への執着を切断したのです。したがって猫はたんなる猫でなくて、人間の持つ一切の執着や自他の対立の表象です。

(『公案夜話 日々に生かす禅の知恵』 P.219より)

松原の解釈によれば、ネコは一切の執着しゅうじゃくや自他の対立(=煩悩ぼんのう)を抱え込んだまま、南泉に斬られたということになる。一切いっさい衆生しゅじょうの煩悩を一身に背負い、南泉に斬られることを選んだネコ!菩薩ネコ!(言い過ぎ)

では、後段での解釈はどうなるのか。なぜ、靴を頭に載せることでネコは救済されるのか。松原は同じ著作で師僧の山田やまだ無文むもん(1900-1988)の解釈を紹介している。

 いつも脚に踏みつけておるものを、頭の上に載せただけのことである。常に踏みにじられておるもの、虐げられておるもの、泥にまみれておるものを頭に頂かれたのだ。(中略)わらじではない、一切衆生を頭の上に載せておる。全宇宙を頭の上に載せておるのだ。(中略)南泉が猫を斬ったのは、人間の所有欲をブチ斬ったのだ。趙州が草鞋を頭上に載せたのは、身体も命も財産も皆さんのものです。お預かりものですよ、と載せたのだ。

(『公案夜話 日々に生かす禅の知恵』 P.221より)

一切衆生の煩悩を背追いこんだネコ、それを殺生せっしょうかいを犯してまで断ち切った南泉、そして、そのネコをも含む「常に踏みにじられておるもの、虐げられておるもの、泥にまみれておる」一切衆生を自分の頭の上に頂いて歩んでいく趙州。このように整理してみると、なにか見えてくるものもあるのではないか。これを読んだ方々かたがた、それぞれで考えてみてほしい。

例えば、私には殺生せっしょうかいを犯してまで禅問答を優先した南泉を趙州がいさめているように思えるのだ。「えらい坊さんのお前(南泉)なんかより、踏みにじられ虐げられている衆生の方こそ往生するんじゃないのか。」と。それを瞬時にくみとったからこそ、南泉は「彼がいれば・・・」と悔やんだのではないか。まぁ、そのように読んでしまうのは、私が真宗僧侶だからかもしれないが。

 

と、ここまで書いてきてふと思う。ネコも「かんべぇ」も等しく衆生として往生していく世界こそが「浄土」なのかもしれない、と。振り返って、私はどうなのだろう。南泉のように仏法を振りかざし、誰かを何かを傷つけて生きてはいないだろうか?なるほど、ネコの往生を心配している場合ではなかった。私もまた、すべての衆生から「キミハオウジョウデキルノ?」と問われている身なのだ。

 

というように、私にとって「ネコ」はいつも大切なことを教えてくれる崇高な存在なのである。やはり、ネコはすばらしい。

参考文献

[1] 『猫の古典文学史 鈴の音が聞こえる』(田中貴子 講談社文庫 2014年)
[2] 『公案夜話 日々に生かす禅の知恵』(松原泰道 すずき出版 1990年)

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