「ジェンダーの視点」~「仏教とジェンダー」を考える~②
前項の①では皆さんと一緒に「ジェンダーの視点」を共有しました。ここからは、先に挙げた二冊の本を通して「仏教とジェンダー」について考えていきたいと思います。
まず、フェミニズム(女性解放思想)の研究者で本願寺派僧侶の源淳子氏が書いた『仏教における女性差別を考える』では、次の三つの部分に別れています。
①東本願寺ギャラリー展でのパネル不掲示事件
2018年に起きた、東本願寺における「人権週間ギャラリー展」において、源氏が作成したパネルのうち、三枚(「変成男子」の思想、穢れた存在とみなされてきた女性、罪深い存在とみなされた女性)が、当時の但馬弘真宗大谷派宗務総長より、
「(経典における女性差別について ※筆者註)宗派として教学、文献学、歴史学等の見地による議論が十分深まっていない現段階において、宗派の責任のもとで展示を行うことは、時期尚早である」 (『仏教における女性差別を考える』P.57 総長による回答書より引用)
との理由で、相談なしに外された事件の概要。
②不掲示となったパネルの内容と経典における女性差別
『仏説無量寿経』四十八願のうちの「第三十五願」(女人往生の願)、それを受けた親鸞の『浄土和讃』における「変成男子の和讃」、蓮如の『御文章』(『御文』)における「五障三従」についての問題点の指摘。
③源氏の生い立ちと親鸞思想
浄土真宗本願寺派の寺院に生まれた筆者が、龍谷大学での「恩師」とであい親鸞思想とどのように向きあってきたのか、が「イエ制度」「穢れ思想」「神祇不拝」などとの関わりの中で語られていきます。
では、次に『現代日本の仏教と女性』を見ていきましょう。この本は、龍谷大学アジア仏教文化研究センターにおいて開催された講義やワークショップをまとめたものです。そのため、挙げられている例や事象は浄土真宗本願寺派でのできごとに少し偏っていますが、そのことによってかえって「浄土真宗本願寺派」という教団が抱える問題点が浮かび上がってくるように思えます。
まず、編集者の碧海寿広氏が前文に書かれているように、この本は「ジェンダー」と「国際性」(文化の越境)をテーマに、さまざまな著者の論考を集めたものです。
「ジェンダー」という面では、大乗経典に説かれる「女人成仏」について論じた岡田真水氏の論考や、曹洞宗における女性出家者の当事者として受けてきたさまざまな「ジェンダー不平等」について赤裸々に語った飯島恵道氏の講義が掲載されています。
「国際性」という面では、北米開教区の歴史を「ジェンダーの視点」で読み解いた本多彩氏の論考や、日本とハワイ開教区における「寺族女性」の役割の違いについて指摘した横井桃子氏のレポートは、日本における仏教寺院内における「ジェンダー不平等の解消」が、アメリカのそれとはかなり遅れていることを指摘しています。
また、イギリス人で日本の真宗寺院に「坊守」として就任した吉村ヴィクトリア氏の体験は、「ジェンダー」による差別に加え、「外国人」としての偏見にさらされ、それゆえに受けてきた差別との闘いの記録として、もっと広く読まれるべきだと思いました。ここで報告される差別の加害者は、私たちの身近に存在する「熱心に寺に通う男性」であり、「男性僧侶」であるのですから。
ここまで近年に出版された「仏教とジェンダー」に関する二冊の本をご紹介してきました。この二冊の本が投げかけるさまざまな問いは、「男性僧侶」である私に対する真摯な問いかけであると感じました。そして、それはまた、教団の持つ構造への真摯な問いかけでもあります。「ジェンダーの視点」は、「構造に組み込まれた差別性」に気づく力をもつ視点であることを、改めて確認することができました。
ここで本願寺派教団の「構造に組み込まれた差別性」の一例として、ジェンダーの視点から「住職と坊守」ということばについて考えてみたいと思います。本願寺派においては、戦後の「新宗法」(1947年施行)により女性が住職になることができるようになりました(それまでは、女性が住職になることができなかった、ということです)。しかし、そのパートナーである「坊守」についての規定では「住職の妻」であるという要件が2004年に「住職の配偶者」と改訂されるまで有効でした。つまり、一方では「女性住職」を認めながらも、一方では「男性坊守」を認めてこなかったのです。この根底には、「寺を代表する住職は本来男性が就任するものであり、その妻である女性は坊守として男性住職を補佐する」という考え方があったと思われます。そして、その考え方は今も根強く温存されているように思えます。例えば、現在でも宗派の公式な機関としての「坊守会」は存在していません(坊守の問題については浄土真宗本願寺派僧侶で男性坊守の三浦真智氏による「『広辞苑』の「坊守」の語釈問題から見えてきたもの」(『宗アス通信~檄 ふれぶみ~』第一号所収/宗門の明日を考える会 編/2019年)を参考にしました)。私たちの教団は、はたして宗制に掲げるような「同朋教団」となっているのでしょうか?ジェンダーの視点は、このような問いかけを私たちに投げかけています。
最後に、『現代日本の仏教と女性』よりジェンダー宗教学者の川崎範子氏による「ジェンダーの視点」から見たサンガ(仏教教団)の定義を引用して、このコラムを終わりましょう。私たちがめざすべき教団の姿が、ここには描かれているように思えます。
「結論として、平等的なサンガとは、性的マイノリティ、エスニック・マイノリティ、女性や障がい者の人々など、社会のメイン(主流の)・ストリームあるいはメイル(男性の)・ストリームの規範に合致しない人々との共生を可能にする場でなくてはならない。」
(『現代日本の仏教と女性』P.18より)
参考文献
[2] 『仏教における女性差別を考える―親鸞とジェンダー』(源淳子 あけび書房 2020年)
[3] 『現代日本の仏教と女性―文化の越境とジェンダー』(那須英勝 本多彩 碧海寿広 編集 法蔵館 2019年)
[4] 『妻帯仏教の民族誌―ジェンダー宗教学からのアプローチ』(川橋範子 人文書院 2012年)
[5] 『『宗アス通信~檄 ふれぶみ~』第一号』 (https://drive.google.com/file/d/1XasbQ9fkD_RdMu-EB44qHmSi9K2Irk9t/view?usp=sharing) (宗門の明日を考える会 宗門の明日を考える会 2019年)