想像すること

【そうぞうすること】

2020年4月7日、全国的な新型コロナウイルス感染症拡大かんせんしょうかくだいにともない、国は「改正新型かいせいしんがたインフルエンザ対策本部特別措置法たいさくほんぶとくべつそちほう」にもとづく緊急事態宣言きんきゅうじたいせんげん発令はつれいした。

この感染症かんせんしょう厄介やっかいなところは、「無症状むしょうじょう」や「軽症けいしょう」の感染者が多数いるというところである。季節性インフルエンザのように高熱等の症状がでるとは限らないので、「無症状」や「軽症」の感染者には自覚じかくがなく、さらに感染をひろげてしまう。また、感染拡大初期は、「軽症者」が多いためか「他人に感染させようとは思わないが、自分が感染してもたいしたことはないだろう」と考える人も少なくなかった。感染拡大をおさえるには、「すでに自分が感染しており、他人と接触せっしょくすることによって高齢者こうれいしゃ基礎疾患きそしっかんのある人びとを感染させてしまい、やがてその人が死にいたる」と「想像そうぞうすること」が重要となる。

仏教ぶっきょうひらかれた釈尊しゃくそんは、「自分のことにきあてて」暴力の否定、命の大切さをしめされた。『ダンマパダ』には、

すべての者はむちおびえ すべての者は死に怯える

自分のことに引きあてて 打ちつけるな、打ちつけさせるな(法句一二九)

すべての者は鞭に怯え すべての者に命は愛しい

自分のことに引きあてて 打ちつけるな、打ちつけさせるな(法句一三〇)

(『ダンマパダ 全詩解説 仏祖に学ぶひとすじの道』P.191~192引用)

とある。「自分のことに引きあてて」という教えには、他者たしゃを「想像すること」という一面いちめんがあるのではないか。

一人ひとりが、新型コロナウイルスに感染した人びとの苦しみ、その家族の苦しみを「想像すること」によって行動が変容へんようする。そして「想像すること」によって、感染するかいなかだけが苦しみではないことにも気づく。それは、職を失った人、食べるものがない人、寝るところを失った人、外出自粛がいしゅつじしゅくでこれまで以上のDV(ドメスティック・バイオレンス 親密な関係にある人からの暴力)に苦しむ人、介護・介助を必要とし一人では動けない人、住所が不定で一律10万円の「特別定額給付金」受給じゅきゅう困難こんなんな人、そして、コロナウイルス感染症に関わる差別をこうむる人などである。しかし、まだまだ私たちの想像が及ばない人たちはたくさんいる。

仏教、浄土じょうど真宗しんしゅうでは阿弥陀あみだ如来にょらいの「十方衆生じっぽうしゅじょう(あらゆる人びと)をすくいとる」というびかけに私がうなづく。私たちもせめて「十方衆生」を「想像すること」を心がけたい。

最近、「このような時代にこそ、宗教の真価しんか発揮はっきされなければ」との声が聞こえる。しかし、宗教教義の真価がわれているのではあるまい。これは、仏教や浄土真宗の教えをりどころとする私の生きかたそのものが問われているのである。

参考文献

[1] 『ダンマパダ 全詩解説 仏祖に学ぶひとすじの道』(片山一良 大蔵出版 2009年)