他の宗派のお葬式に行くときは?

【ほかのしゅうはのおそうしきにいくときは?】

「ごいんさん、私らが浄土真宗以外の宗派のお葬式に行くときはどないしたらええんでしょうか?」。こういう質問をよくご門徒さんからいただくことがあります。確かに、同じ仏教系の宗派ならまだ「前の人の作法をまねる」という裏ワザも使えますが、これがキリスト教や神道しんとう、その他仏教以外の宗教の葬儀や法要(儀式)となるともうお手上げ、と話されるご門徒さんも少なくありません。

この「お手上げ」という言葉の裏にあるものは、私たちが違う宗教の儀式に参列する際にはその宗教の作法に従うべし、という暗黙の了解みたいなものでしょう。しかし、その「暗黙の了解」とは本当に正しいのでしょうか。自分の信じる宗教以外の宗教行為に参列した時、自分が信じていない宗教の作法の形「だけ」を真似るのは、かえってその宗教に対して、失礼に当たるのではないでしょうか。それぞれの宗教のそれぞれの作法の中には、その宗教の持つ思いや願いが必ず託されています。その思いを知ることなしに、安易に作法の「マネゴト」をすることは、自分の信じる宗教にも相手の信じる宗教にも敬意を払うことになるとは思えません。

では、私たち真宗門徒はそのようなときにどうふるまえばよいのでしょう。親鸞聖人は正信偈の中で

「大悲無倦常照我(大悲、ものうきことなくしてつねにわれを照らしたまふといへり)」

(『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』P.207 より)

と書かれています。「私がどこにいようと、どんなことをしていようと、阿弥陀如来の大悲は決して見捨てることなく、この私を照らし続けている。」という意味です。ならば、私がどのような宗教の葬儀や法要の場にいたとしても、そこでも変わらずに如来の大悲は私に届き、私を照らし続けて下さっているはずです。つまり、どのような宗教・宗派の儀式でも、真宗門徒ならば合掌をしてお念仏を称えれば良いということになります。

もちろん、他の宗教を尊重することは大切です。それは、浄土真宗の法要に他の宗教の方がお参り下さったことを想像すると良いかもしれません。そのような場合は互いの宗教を尊重する意味で、本来の作法でない形でお参りすることが必要となることもあるでしょう。例えば、真宗の門徒であればお念仏を声に出さずに心の中で称える、というような形です。私たちが一番大切にしなければならないことは、決まった形や作法にとらわれるのではなく、自分の信じている道、歩んでいく道を確かめながら、それを形にしていくことです。そして、それこそが宗教儀礼における「作法」の本当の意味なのでしょう。

参考文献

[1] 『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』(教学伝道研究センター 本願寺出版社 2009年)