足のしびれ
よく、「お坊さんは足がしびれたりしないんでしょ?」と法事の席でたずねられたりします。どうやら僧侶は正座に慣れていて、長時間正座をしていても足がしびれない、と思われているみたいですね。結論から言いますと、僧侶も足はしびれます。私なんかは体重が〇〇(自主規制)キロを超えたぐらいから、30分もすると立てないくらいに足がしびれています。もしかしたら、これを読んでいる皆さんの方が「正座に強い」かもしれません。
では、なぜ、僧侶は「足がしびれない」などという勘違いが生まれたのでしょうか?それは、僧侶は足がしびれていても平気な顔ができるようになるからです。多少足がしびれていても、「あ、今立つと絶対にヤバイな」と思うぐらいで、平気な顔で法話や読経をしています。そういう意味では、「正座」に慣れたのではなく、「足のしびれ」や「痛さ」に慣れた、と言った方が正確かもしれません。つまりは、ただやせガマンをしているだけなのです。
そもそも、「正座」とはいつから「正しい座り方」とされたのでしょうか。例えば、仏像などを見てみると、正座をしている仏さまはほとんどおられません。また、仏教に伝わる座り方として有名なものは「結跏趺坐」「半跏趺坐」と呼ばれる、今日では「あぐら」と呼ばれる座り方に近いものです。仏像で座っている姿の仏さまも、たいていはこの座り方をしています。また、江戸の中期までは、仏教の法要での僧侶や、将軍の前に座る大名たちが、今日の「正座」という座り方に近い座り方をしているぐらいで、日常の生活での「正座(正しい座り方)」は、アグラや立膝をついた形での座り方でした。「正座」が一般的に「正しい座り方」とされたのは、茶道が庶民に広まった江戸後期から明治以降といわれています。そして、「正座」という言葉が一般に広まったのは、昭和になってからのことのようです。
つまり、正座が「正座」となってから、たかだか100年の歴史しか経っていないのです。
そう思うと、無理をして正座を続ける必要はないのかもしれませんね。じっさいに私どもの宗派は、本堂の内陣において僧侶が椅子に座って読経をする新しい作法を制定いたしました。大阪の津村別院の報恩講は、内陣外陣ともに椅子席で勤められます。阿弥陀さまへの感謝の気持ちをあらわすのに、座り方は関係ない、といったところでしょうか。(ただし、法要の中で楽を奏する楽人の方々は、いまでも正座をされています。ときおり、椅子席で読経をしている私たちに「ええなぁ」という楽人さんの目がとんでくることがあると感じているのは、私だけでしょうか)。また、私のお預かりしているお寺でも外陣をすべて椅子席にしたところ、今までお参りに来ることができなかった方々もお参りに来てくださるようになりました。
作法や座り方は、その時々によって変わっていきます。大事なことは、「どのような形でお参りするのか」よりも、「どのような思いでお参りするか」ということではないでしょうか。
・・・あと、読経終了後の僧侶の足の裏を、けっして棒で突っついたりしないでくださいね。